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天下のご意見番 大久保彦左衛門

『三河国物語』を執筆した額田の武将 大久保彦左衛門忠教(1560年~1639年)

彦左衛門は「天下のご意見番」ともよばれ、多くの武士から慕われていたそうです。

『三河国物語』を執筆した額田の武将
大久保彦左衛門忠教(1560年~1639年)

三河国額田郡(現在の岡崎市も含む)の地内に二千石の領地を持つ直参旗本。そのうちの約千石が幸田町内の坂崎にあり、家康・秀忠・家光と、徳川三代に仕えました。 徳川家について書かれた『三河国物語』の著者として知られています。

~文学に関心が高かった武将~

武将としての生を生きながらも、若い頃から書物に関心があり、自身で『三河国物語』を執筆する前、50歳の頃には『源氏画巻物』12巻を書写するなど文学への関心があったとされています。自身の出世より多くの浪人を養い彼らの就職活動のために奔走したという話も残っており、さまざまな人々から義侠の士と慕われていたそうです。

「三河国物語」とは

~徳川への思いを正直に記した貴重資料~
寛永12年(1635年)ごろから徳川家と大久保家の功績を広めるために、常陸国鹿嶋(茨城県鹿嶋市)に300石ほどの地を移し、執筆を進めたとされています。歴史著述だけではなく、忠教の思いが強く記されており、徳川氏巻に偏った史料ですが、仮名混じりの独特な表記、文体で書かれており、この時代の口語体を現代に伝える資料という貴重なものです。徳川将軍家草創時期の初期資料としての価値は高いとされています。

SPOT

幸田彦左まつり

幸田町では、毎年7月に郷土の英雄・「彦左衛門」や時代劇でお馴染みの「一心太助ら」に扮した町民が街を練り歩く「幸田彦左まつり」を開催しています。